月刊児童伝道マンガ雑誌 「らみい」公式ホームページ
世界(せかい)ではじめての日本語訳聖書(にほんごやくせいしょ)はどうやって誕生(たんじょう)したのか…。そこには漂流(ひょうりゅう)した3人(にん)の日本人(にほんじん)とひとりのイギリス人(じん)とのふしぎな出会(であ)いがあった。
文政(ぶんせい)2年(ねん)(1819)尾張(おわり)の 国(くに)(現在(げんざい)の愛知県(あいちけん))知多郡(ちたぐん)小野浦(おのうら)に生(う)まれる。 病気(びょうき)の 父(ちち)の 世話(せわ)をしたり、 奉公先(ほうこうさき)の樋口家(ひぐちけ)でも一生懸命働(いっしょうけんめいはたら)く正直(しょうじき)者(もの)の男(おとこ)の子(こ)。 船主(ふなぬし)の樋口源六(ひぐちげんろく)に見込(みこ)まれて、源六(げんろく)の孫娘(まごむすめ)のお琴(こと)と結婚(けっこん)の約束(やくそく)をする。 14さいの時(とき)、兄(あに)・吉次郎(きちじろう)と共(とも)に千石船(せんごくぶね)の宝順丸(ほうじゅんまる)に乗(の)りこみ、鳥羽(とば)を出帆(しゅっぱん)するが大嵐(おおあらし)にあい、14か月(げつ)の間(あいだ)漂流(ひょうりゅう)することになる。 宝順丸乗組員(ほうじゅんまるのりくみいん)14人(にん)のうち、11人(にん)がなくなり、音吉(おときち)、久吉(きゅうきち)、岩松(いわまつ)の3人(にん)だけが助(たす)かる。
小野浦(おのうら)の生(う)まれ。音吉(おときち)の幼(おさな)なじみで音吉(おときち)より1つ年上(としうえ)。 明(あか)るい性格(せいかく)。 音吉(おときち)と共(とも)に宝順丸(ほうじゅんまる)に乗(の)りこみ、大嵐(おおあらし)にあう。
愛知県熱田(あいちけんあつた)(現在(げんざい)の名古屋市(なごやし))の生(う)まれ。 宝順丸(ほうじゅんまる)の舵取(かじと)りだったが、子(こ)どもも生(う)まれ、一時船(いちじふね)を下(お)りていた。 宝順丸(ほうじゅんまる)の舵取(かじと)りの一人(ひとり)が病気(びょうき)になったため、代(か)わりに1回限(かいかぎり)りという約束(やくそく)で宝順丸(ほうじゅんまる)に再(ふたた)び乗(の)り、大嵐(おおあらし)にあう。この時(とき)、28さい。
イギリスの主席通訳官(しゅせきつうやくかん)でオランダ伝道協会(でんどうきょうかい)の宣教師(せんきょうし)。まだ見(み)ぬ日本(にほん)の人々(ひとびと)に聖書(せいしょ)を自分(じぶん)のことば(日本語(にほんご))で読(よ)んでもらいたいと日(ひ)ごろから願(ねが)っていた。マカオで音吉(おときち)・久吉(きゅうきち)・岩松(いわまつ)と出会(であ)い、彼(かれ)らに手伝(てつだ)ってもらいながら、世界(せかい)ではじめての日本語訳聖書(にほんごやくせいしょ)(ギュツラフ訳(やく)「ヨハネ福音(ふくいん)書(しょ)」)を作(つく)った。
イギリスの「ハドソン湾(わん)会(かい)社(しゃ)」の支配人(しはいにん)。 アメリカ西海岸(にしかいがん)のフラッタリー岬付近(みさきふきん)(ワシントン州(しゅう)北端(ほくたん)カナダ国境付近(こっきょうふきん))に外国人(がいこくじん)(音吉(おときち)たち)が流(なが)れ着(つ)いたことを知(し)り、彼(かれ)らを故郷(こきょう)に帰(かえ)すためにいろいろ世話(せわ)をする。