おたよりを紹介します。
お名前 お便り

駆け出し伝道師 08/06/10 おたより = 私は外国で聖職者として働くものです。交際中は夫は必ず教会出席し、私の伝道活動を助けてくれましたが、結婚してからはだんだんと教会生活から遠ざかり、やがて教会批判を始めるようになり徐々に教会から離れていきました。このような夫の救いのために定期的に断食し祈ってきましたが、神津さんの記事を読んで自分の結婚生活とかなり似ている部分に共感し励まされました。婚約中多くのクリスチャンの友人から結婚を断念するようとの説得を振り切って結婚したため、結婚生活の苦労の愚痴を誰にもこぼせず数年辛い生活を送りました。そのような中で奉仕する教会でノンクリスチャンの夫との結婚生活に苦労をされている姉妹との交わり・励ましあいを通して信仰を新たにされました。現在は夫との結婚生活は自分の弱さを認め常に謙遜にし、聖書のみことばを生きる糧とし信仰を成長させるための試練と受け止めることができるように変えさせられました。日々葛藤がありますが、神様と2人3脚で信仰の旅を前進しています。

@i 8/29 はじめまして。@iと申します。
「クリスチャンでない夫ともつ妻たち」を読ませていただきました。

私は、まだバプテスマを受けていません。いろいろと事情があり、制約が多いのです。

子どもの頃に信仰を持ち、教会に通いました。学生時代からは部活等忙しく、教会から足が遠のきました。

クリスチャンではない、立派な仏壇のある家に嫁ぎました。信仰は心の中だけになりました。今年、地元の映画上映会で「塩狩峠」を見たのが転機となりました。今、行動しなければ、私は教会に二度と通えないかも知れないと思い、再び教会に通い始めました。夫は、信仰を家に持ち込まない条件で、教会に通うのを許可してくれました。

そこでネックとなるのが、仏壇(仏教)や、日本古来の神仏を熱心に信仰している、夫の母(義母)のことです。義母は、とても良い人です。嫁の私には、自分と同じぐらいの信仰心の篤さで、仏壇の世話や諸々を引き継がせたいと考えているようです。

私の信仰を知らない義母は、毎日「仏壇に参りなさい」と言います。信仰のことを言えば、きっと義母は反対するでしょう。義母は「田舎のお年寄り」なので、キリスト教はおろか、クリスマスの意味さえ知らないと思います。

また、義母が亡くなってから、私が仏壇の世話をしないのではないかと、不安を抱かせます。私の実家にも仏壇がありますし、仏壇や仏教を否定しません。家族が大事にしているものは、私も大事にするのが当然です。

法事の時や、婚家の菩提寺の和尚さん(キリスト教を否定しない、むしろ好意的な)が来た時にしか、私は仏壇の前に座れません。義母の言う事を聞いて、参れば義母も満足するでしょう。しかしそれは(まだ信仰のことを言えないうちは)、全然心が入ってないということで、逆にそれは義母への裏切り行為に当たるのではないかと思います。

参れば、義母はさらにもっと、それ以上の、仏壇に対する「忠誠心」めいたことを要求してくるかも知れません。私はそれがたまらなく不安で、「仏壇にも参れない最低なダメ嫁」を演じているのです。

遠方に父の末妹が、カトリックのクリスチャンです。孤立無援ではないことが、幸いです。困ったとき、おばに相談しています。叔母は、仏壇に参っても良い、数珠も持っても良い、拝むのではなく祈るんだと言います。

キリスト教と、婚家の仏教(仏壇、ご先祖信仰)の板ばさみで、私は苦しんでいます。

義母に事実を告げようと、ゆくゆくは思いますが、今はその「時」ではありません。時はきっと来ると思います。何事にも時があります。その事実の告げ方も、夫と約束した「信仰を持ち込まない」ということに、違反しないかが気がかりです。

いずれ、バプテスマを受けるつもりです。その前にクリアせねばならない問題があります。
1.夫や義父、義母、子どもへ、バプテスマへの理解を得ること
2.菩提寺さんとのこと

義母に気を遣いながらの信仰生活は、時に「全部話したい」と切実に思うほど、苦しいです。いっそ、「誰かがバラしてくれれば」とさえ思うときも有ります。

きょうも義母は、仏壇や家のお地蔵さんを、に熱心に拝んでいます。1日と15日には必ず、浄めの塩を撒いています。そんな義母の背に、私は「何も出来なくて、ごめんなさい」と、心の中で毎日詫びています。仏間で義母が、「チーン」と鉦をたたくのでさえ、責められているように聞こえます。

救いなのは、まだ私の心に「時は来る。待とう」と言う思いがあることと、義母は信心深いので、上手く話しをすれば信仰への理解を得られるではないかという希望を、持っています。また、いのちのことば社から、お坊さんだったかたが、教会の牧師さんになられたという本を買い、勇気付けられました。

まだまだ道は険しいです。時にくじけそうになることが有りますが、信じて頑張っていきたいです。

長文になりました、済みませんでした。読んでいただき、ありがとうございました。

ノンクリスチャン 6/18 こんにちは。海外帰りの牧師先生の英会話教室に通い3年近くになり、その間に何度も礼拝や、クリスチャンの皆さんとの関わりを持ちました。子供のころに日曜学校に通っていたこともありあまり抵抗無く教会に足を運ぶことができました。最近私も神様を信じたい、心から神様に感謝して生きていけたらどんなにすばらしいだろうと思います。しかし私自身がいまだに進行とは何かということを分かっていないことと、なんとなく宗教に傾倒することに気恥ずかしさを感じています。
 そして私の夫は宗教に傾倒していく人は弱い人、変わった人との考えみたいです。聖書を読んでいる私や、教会に行く私を不思議そうにしています。
 私は最近のこのキリストに対する気持ちを一時のものに終わらせたくありません。でも、なぜそう思うのかと聞かれると漠然としています。こんな私ですがいつか信仰を持ち神様のお導きのままにかんしゃしていきていきたいです。夫の反応、両親・・・・さまざま不安ばかりです。どうしたらいいのでしょうか?

はな 6/15 私は20代のクリスチャンホームで育った、クリスチャンです。
今付き合っている彼はノンクリスチャンで、「教会って何するの?」というくらいキリスト教を知りません。
付き合う前から私がクリスチャンであることを言っていたので、日曜日は教会に行くことは了承してくれてます。また、私は賛美奉仕もしているのでその練習で土曜日夕方も教会に行っています。
平日はお互い仕事なので、会うのは土曜の昼か、日曜の午後です。丸1日会える日がありません。
彼は今のところは何も言いませんが、私は彼に申し訳ないように感じています。
教会に誘いますが、「キリスト教に何も興味がないのに行くのは気がひける」と言います。

また教会の友達と恋愛話をするとみんな口を揃えて「付き合うならクリスチャン」「クリスチャン以外の人とは付き合う気になれない」「どんなに素敵な人でもクリスチャンでないと」と言います。
ノンクリスチャンと付き合っている私はそれを聞いてみんなに相談できません。「だから付き合うならクリスチャンがいいんだよ」と言われそうで・・・。

彼とは結婚したいと考えています。彼には信仰を持ってほしいと願っています。
でも、すべて神さまのみこころとも思っています。
彼と会えないことで、信仰が弱まってしまっている自分がいて、それがすごく嫌です。日曜日に教会を休んでしまおうかとも思ってしまうのです。でも、教会学校の奉仕もあるのでなんとか教会に行っているような日もあります。

今、自分の信仰がグラついています。彼と付き合ったからというわけではありませんが、何%かは関係あるかと思います。
こんな弱い私ですが、神さまの導きでこれからの信仰生活を歩んでいけたらと思っています。

呉のキリスト狂徒 5/21 はじめてお便りさせて頂きます。私はノンクリスチャンの妻と結婚している広島県呉市在住の40代クリスチャンです。私はクリスチャンホームに生まれ育ちましたが、青年期からキリスト教に疑問を持ち、妻と結婚した当時は教会から全く離れた生活をしておりました。しかし妻と生活するようになってから、主の人知を超えた不思議な導きにより教会へ復帰し、40歳の時、受洗(正確には幼児洗礼を受けていたので信仰告白)し、今は教会無しでは生きていられないような狂信的なクリスチャンとなっております。
 さて、私の妻は、私が教会活動をすることは認めてくれていますが、教会へ誘っても頑なに拒否します。二人の娘達も幼い頃は教会へ一緒に通っていたのですが、思春期を迎えてからは教会から離れつつあり、少し寂しい思いをしております。しかし私は決して絶望してはおりません。むしろ、いつか必ず、主が、この頑なな妻と娘を救って下さると確信し、その日を楽しみに待っております。なぜなら私たちが信じる神は全知全能の主だからです。主にできないことはありません。必ず成して下さいます。また主は私たちの苦しみをすべて知っておられるのですから、必ず時が来れば、私たちの涙を拭い、苦しみを永遠の歓びへと変えて下さるに違いありません。その日を信じて共に祈って待ちましょう。「信じる物は救われる」という聖書の御言葉は絶対に間違いはありません。主は決して信じる者を見捨てたりしません。信じて喜びの日を祈り待ちましょう。
 追伸 こんな強気は文を書いている私ですが、正直その確信が揺らぐ時が、ときどき有ります。(神様、どうか許して下さい)そんな時、お勧めなのが賛美歌・聖歌を歌うことです。不思議と力が涌き上がってきます。私の場合は賛美歌461番「主、我を愛す」や賛美歌285番「主よ、御手もて引かせたまえ」等が特に効果的でした。皆さんも是非お試し下さい。主が必ず答えて下さいますから。

さくら 5/14  「放蕩親父」さんの投稿を見て、私も投稿しようと思いました。
 私は今、創価学会の方とおつき合いをしております。彼の母親が熱心な学会員で、彼も学会員となりました。私はクリスチャンホーム育ちで、両親共に熱心なクリスチャンです。私自身も洗礼を受け、教会に通っておりますが、熱心なほうではないかもしれません。
 彼と私は今結婚を考えています。彼の両親は賛成してくれていますが、私の親は宗教を理由に反対しています。ゆるしてくれそうにありません。
 今まで彼と宗教について何度も話し合ってきました。私は熱心な信仰者ではないかもしれませんが、やはり彼のために宗教を変えるとは言えませんでした。おそらく本能的なもので、信仰を、神さまを捨てることができないのだと思います。
 どうしたらいいのか本当にわかりません。
 神さまは耐えられないような試練にはあわせず、逃れる道も備えてくださるといいます。からし種ほどの信仰があれば山をも動かす、といいます。本当でしょうか。
 彼を失いたくない、親も悲しませたくない、おそらくなんだかんだいって信仰は捨てられない…。やはり何かを捨てなくてはいけないのでしょうか。
 祈っても祈っても答えが見つからず、毎日苦しい思いをしています。

クロ 5/12 私は今月結婚したばかりの新米主婦ですが、私の夫もクリスチャンではありません。そのことで、結婚前はずいぶん悩み、クリスチャンの友達や教会の人々からももう少し祈り続け待ってみてはというアドバイスいただきました。祈りが不十分だったのか、または私の罪のほうが勝ってしまったのか、今ではよく分かりませんが、私は彼に出会って少し知り合った頃から彼とずっと一緒にいたいと強く思っていて、その想いはどんな人の意見も変えることがなかったのです。それは主が求められるものではなかったかもしれまんが、今となってはクリスチャンでない夫を持つ妻として、日々彼のためにそして私たち二人の将来のために祈り続けています。
やはりお互いが主を求め励ましあえないという面では、難しいとつくづく感じます。彼は教会には私が行くと言えば一緒に着いて来てはくれますが、始めの数ヶ月は牧師先生のメッセージも真剣に聞いていたほうですが、今では隣で居眠りしています。私も反対に無理に連れて来て申し訳ないと思ってしまう自分がいます。一緒に聖書を読んだり、祈ったり、主の愛について語ったりできたらどんなに救われるだろうかと思い描くこともありますが、今私が出来ることは彼のために祈り、信じ続けることだと思っています。主を信頼し、私を通して今は彼も救われるよう祈るのみです。
長くなりましたが、何かのお役に立てることを願ってこのお便りを出させていただきます。God Bless You-


放蕩親父 5/9 私は53歳の男性クリスチャンです。18年前にイエス様を救い主だと信じ洗礼を受けました。
妻とは27年前に結婚しましたが、妻の家は「創価学会ホーム」でして、結婚する時には「学会員」になるように迫られました。しかし,私は『宗教と結婚するんじゃないので!イヤです』と、きっぱりと断りました。
妻は5人兄弟で、全員が学会員でして、全員が結婚していて、それぞれの伴侶と子供達も全員が学会員なんです。
そんな中で唯一私だけがクリスチャンということで、私は皆から変人扱いされています。
妻とは、信仰のことで何度も話し合いましたが、全くの平行線でした。
何度か離婚の話も出ましたが、どゆうわけか出来ませんでした。
また、何度も、妻と別れてクリスチャンの女性との再婚を考えましたが、出来ませんでした。
そして今は、毎日、妻の救いを祈り続ける日々を過しています。
私には、いつ妻が救われるかは分りませんが、救われることを願い祈っています。
そして、神様は救いへと導いて下さる愛なるお方であることは間違いないのです。
最善の時に,最善の方法で妻を救いへと導いて下さると信じています。

nanohana 3/25 私は、ノンクリスチャンの夫を持つものです。昨年7年間のお付き合いを得て、結婚しました。
付き合っている間は、求道者だったこともあって、教会とも少し距離をもっていました。
付き合い始めたのは、ちょうど、求道し始めて4年目のことだったかと思います。
夫と出会ってからの4年間は教会との距離はありましたが、賛美歌を聴いたり、祈ったりと、
神様は、私を離さないでいてくださいました。
長い付き合いの中で、夫との関係では、支えられない私を、イエス様は導いてくれ、
教会に通い始めて10年目にクリスチャンになりました。
「残念なことに、あなたは私の支えにならない。神様に今の私は支えられている。」
私の洗礼の決心の言葉と、今後も付き合う気持ちがあるのなら大切なことだからと、
今の夫を、洗礼式への招待をしました。いやいやながら出席してくれました。
当日、先に教会に行っていたのですが、夫の顔を見つけたときには、本当にほっとしました。
この洗礼式に来てくれなかったら、このお付き合いは終わっていたかもしれません。
それから、婚約式も、結婚式も教会で行いました。事前の結婚の学びにも付き合ってもらいました。
これは、かなり強引でしたが、私の強い思いで、反対もできずにいたようです。

こんな経過のためか、結婚した今も、日曜日に教会へ行くことには何も言いません。
私も、神様のことも教会のことも、あまり話しません。
あからさまに話すと、いやな顔をされ、お互いに気分が悪くなることが予測されますから。
私が、聖歌隊等の奉仕をするときや、クリスマスなどの行事の時は、
夫を教会へ誘いますが、なかなか出席にはいたらずにいます。
ただ、聖歌隊の奉仕があるときは、聴きにいけなくて残念だと言ってくれます。
夫が、クリスチャンだったらどんなに良いだろう、と思うこともあります。
一緒に礼拝に参加できるようにと祈ることもありますが、
形式的に礼拝に出席しても意味はありません。
私が導かれたように、時が満ちれば夫にも導きがあるようにと祈るだけです。
私が、神様を信じることの喜びを、普段の生活の中でも喜び、それこそが証だと思っています。
クリスチャンでない夫と結ばれたのも、神様のご意思だと思っています。
教会の礼拝だけが信仰の全てというわけでもないと思っていますし、
必要な時は、日曜日でも、夫とのひと時を大切にもします。
どこにいても、私が神様を見上げて祈ることは可能なので、その場で神様に感謝することにしています。
結婚の時に、牧師先生から、これからは、神様と自分と夫の三角関係でいなさい。と
言われました。このことを大切にしていきたいと、今もも思っています。

peter 2/20 私はノンクリスチャンの夫と結婚しました。もう18年になります。結婚の際、牧師と二人で話してくれました。色々ありましたが、結婚式も神式でした。それから18年。私は夫以外の人と結ばれました。要するに、夫に愛想尽かしてと言うより、夫に蔑ろにされていることにつらくなって、とある男性を好きになりました。家庭を捨てようかなとも思いました。しかし、私にはこの夫しかいないと気付き、元に戻りました。しかし、夫は私を許してはいません。ノンクリスチャンの夫に許しを請う毎日です。場違いな投稿かもしれません。すみません。

しぶがき 2/13  夫は私がクリスチャンであることを知って結婚したので、教会に行くのはあまり文句をいいません。ただ、日曜に自分が家にいる時はあまりいい顔をしていません。良くはないけれど長年日曜は別々の生活をしています。
 今(私59歳、夫61歳)夫をクリスチャンとして得たいと真剣に思っています。祈っています。でも、教会へはあまり勧めません。教会や礼拝に行くのが信仰の第1ではないと思っていますから。信仰は日々の暮らしに息づいてこそ信仰と思っていますので、礼拝に行けない(実は私はほとんど行ってますが)場合こそちゃんとそれに対処できる信仰を主に求めればいいと思います。「教会生活」もできればそれに越したことはありませんが、教会は信仰共同体のひとつの場。支えあったり、信仰のアドバイスを頂いたり、共に居る事によって神様から頂く霊の交わりを深く享受できる大切な「場」だとは思っています。しかし限定される「教会という場」「礼拝の時間」に行けない場合はそれと代わる「場」を見つけたいものです。一番近くの隣人(夫)を得るためには祈って、自分の限られた時間をどのように使うのかもっと考えることが要ると思います。夫婦の中で「共感」が一つでもあるかしら?価値観が違うのねと開き直っていたことを今頃気付かされて反省しています。そういうことでは無理。「礼拝」「教会」を言う前に、夫と心が通じているかなと顧みること。「神を愛し、人を愛す」私たちは人との関係(この世)の中で主への確かな信仰へと導かれます。夫が一足飛びにクリスチャンにならなくても「私に反対しない者は私の仲間?」といって下さっているイエス様に委ねつつ「反対しないもの」の列に夫もと思っています。

taitai 2/8 主人とは、私の2人の子を連れての再婚。主人は外国人ですが、その後主人との間に3人の子を与えられ、幸せに暮らしていました。しかし、様々な要因で 主人が単身赴任をしなければならない状態を作ってしまい、別々に暮らすことに。そんな中、私は過去の罪責から抜け出せず、せっかくの幸せをありがたく受け入れられずに、一人苦難を抱えもがいていました。そんな私をもイエス様は救ってくださいました。そして、バプテスマから2ヵ月後、1人の生活に耐え切れなくなった主人の意思によって、再び家族揃っての生活が始まりました。主によって与えられた新生活に、主人や子ども達の救いと言う大きな希望をもっています。しかし、離れていたのは、空間の距離だけではなく、絆や価値観までもを遠く離れたものにしていたということに気付かされました。クリスチャンを排斥はしないと話していた彼ですが、実際の生活の中で、聖書の御言葉を用いることが増えてきた今、善悪両極端な反応を見せる彼。仕事の面では年齢的にも、油ののった時期なのでしょうか!?私とはかけ離れた要求が増えてきた彼は、今までになかった行動を取り始めました。そんな中祈る私に主は、私の取るべき態度を具体的に示してくださいました。それは、常に喜び、感謝し、祈ることでした。私は、今新しい教会の姉妹の方に一つ一つ祈っていただきながら、主の御顔が彼に向いてくださるのを心待ちにしています。それぞれの夫のために祈る 多くの姉妹の平安をお祈りいたします。

未熟なクリスチャン 2/5 hanakoさんと私(40代)もよく似た状況です。ノンクリスチャンの夫は、パチンコ、麻雀、風俗あげくに日曜の午前中に私には仕事だと言いつつ出会い系サイトで知り合った人妻とラブホテルへ行き、そこで倒れて救急車で運ばれ、すべてが明らかになったにもかかわらず回復したらまたその人とメールをしたり会っていたのです。姦淫の罪のことで話しましたが、「クリスチャンでない自分には関係ない」と取り合ってくれませんでした。今も陰で何をしているのか、もう信じられないし、どうしてもいろいろと裁いてしまう、憎んでしまう自分がまたすごく嫌です。夫の実家は田舎で、姑は僧侶ととても懇意です。今は姑に任せていますが将来、自分が寺と付き合って行くのも苦痛です。夫からも「どうせ、お前は家の墓にも入らないくせに」「お前のくそまじめの性格が嫌だ」等言われました。夫の妹は、「男はみんなそんなものよ」と大して問題にしていないように言いますが、私は自分の夫がそうなのが我慢できないのです。子どものことや自分の生活力のことを考えつつ今は現状を維持していますが、このような生活を続けていいものかと悩んでいます。牧師先生は、「夫は変わらない」と決め付けずに祈って、自分を捨てイエスさまに入っていただいて夫に仕えていくように言われましたが、毎日とても辛いです。

泣き虫 1/15
クリスチャンになったばかりの頃、教会生活が楽しくて奉仕や祈祷会等、ほぼ毎日のように教会に行っていました。 日曜日には主人を家に残し朝早くから子ども達を連れて礼拝に行き、戻るのは午後2時過ぎでした。 その事だけが原因では無いのでしょうが、この頃夫婦関係が最悪のものとなりました。話しもしない、話せばケンカになる、そんな毎日でした。 

なんとか関係を修復したかった私は「教会に入れ込み過ぎている自分がいけないのかもしれない」と思い、奉仕を減らしましたが、教会側からは「優先順位が違う」と言われ悩みました。 「主人を大切にしていない」と自分で自分を責め、「神様を第一にしていない」と周りから責められ(ているように感じられ)だんだん信仰そのものが揺らいでしまいました。礼拝には「行って」も「行かなくて」も苦しみは同じでした。礼拝をさぼれば神様に対して申し訳ないという思いで苦しみ、後ろ髪を引かれる思いで礼拝に行っても心が100%その場にないのです。周りの夫婦揃って礼拝している方々を見て、たった一人で座っている自分が可哀想に思えて、主人を恨み泣いてばかりいました。(周囲の方は私が神様からの祝福を感じ涙していると思っていたでしょう。)

神様に祈り求める中で「まずは主人との関係を修復すべき」という思いが強く与えられました。家を留守にする時間を短くしようと、近くの教会に変わりました。人数が多いため奉仕の分担もされていますので「今はできない」という状況を理解してもらえます。そして何よりも男性が多い事が励みになります。
母教会を去ったことは身を切られるような思いでしたが、私の心の負担は軽くなりました。生き生きとクリスチャン生活を送ることができるようになり、この私の姿が主人への証しになると信じています。今ではイースターやクリスマスなどの特別な礼拝には主人も一緒に来るようになりました。どんなに苦しく辛い時でも「この結婚を守りたい」という思いと、「赦す」という心を与え続けてくださる神様に感謝いたします。

Water 12/15 はじめまして。
私は40代の受洗したばかりの男性クリスチャンなのですが、
私と妻はとある異端教派(名前はご容赦ください。)の熱心な
信者でした。最近になって二人とも脱会したのですが、私は
幸いにしてキリストの愛に恵まれて正統的な教会で救われましたが、
妻はキリストを信じるには到っていません。それどころか、以前の
異端教派に未練があるのかどうかも、私には打ち明けてくれません。
家族でのお祈りは続いているのですが、妻は心に真にキリストを
迎え入れていないので、気もそぞろと言った感じです。
子供たちを異端教派の価値基準で育てなくて済むようになったのは
幸いなのですが、今通っているプロテスタント教会には、妻は
自分だけでなく、子供たちを連れて行くのも拒んでいます。
早く妻もキリストの愛に目覚めてほしいと願っているのですが、
こればかりは強制もできないので、ただ、ひたすら聖霊が妻に
働いてくださるように祈るしかありません。
今、我が家では宗教の事を口にするのすらタブーのような雰囲気
です。

匿名 12/2 はじめまして。私は20代の独身クリスチャンなのですが、以前ノンクリスチャンの男性とお付き合いしていました。その方自身はとても私に優しく接してくれて、好意を抱いてくれていました。数ヶ月は平穏なお付き合いを続けていましたが、クリスマスの時期が到来し、決定的な価値観の違いを感じました。彼はせっかくのクリスマスなんだから、きれいなホテルに泊まりおいしいものを食べる・・ということをしたかったのですが、イエス様の誕生をお祝いする日に、結婚の約束もしていない彼と一夜を明かすということがどうしても受け入れ難かったのです。話し合いの場を何度か持ったのですが、私の言い方も良くなかったのか、「自分勝手だ、そんな考え方はおかしい」と言い、しまいには泣かれてしまいました。そんな話し合いの中で私の信仰も揺らぎ、結果として私が譲歩する形になりました。その後穏やかな時期もあったのですが、「この人と結婚生活を営むことができるのだろうか?」という疑問がついて回り、私から別れを告げることとなりました。その後は信仰と結婚についての本を何冊も読み、クリスチャンの友人に支えられ、どんな素晴らしい男性でもイエス様に勝るものはない、本当の安らぎと癒しは神様にしか与えられないことを学びました。こう書くと、私は信仰の確信を得て、何事にも揺らがない境地に達したかのように感じられるかもしれませんが、今でも普通のカップルのようなお付き合いに憧れ、結婚していく友人たちを見ると心は揺らぐことは正直あります。でも、神様が与えてくれる本当の意味での喜びを分かち合えるような男性と出合わてくださることを信じて祈り続けたいと思います。

hanako 11/24 50代の主婦、クリスチャンです。(夫はノンクリスチャン)
只今、夫の1年余りの浮気に苦しんでいます。夫の暴力、心無い暴言に
傷つき、休日になればいそいそと彼女とのデートに出掛ける夫の姿を見るにつけ、
胸がえぐられる思いです。   

そこにはもう以前の柔和な夫の姿は無く、ただやつれた姿に見えました。
ただ涙、涙の毎日でした。

教会の牧師先生、信徒の方々が祈り支えて下さり、「信仰を持ってて良かった」
と思う反面、私が礼拝に出ている間に彼女と会っているのを知り、
ものすごくショックを受け教会をやめたいとも思いました。夫も寂しかったのだと思います。

信仰を持っていない夫との価値観の違いは大きく、なんでこんな事になってしまったのだろうと
自分を責めました。今まで何度も一緒に教会に行こうと誘いましたが、
夫曰く、「教会は心の弱いものが行く所であって、自分には必要が無いと」言う事です。
 
こんなに苦しんで待っていても、夫が戻ってくるか分かりませんが、
でも、私には祈っている時と、教会に行っている時が一番心が平安なのは
信仰を続けなさいと言う神様のメッセージでしょうか・・・

ミセスJ 11/21 面白い記事ですね。
 実は私もキリスト者ですが、夫も元キリスト者でした。
私が、発達障害と当時知らずに結婚した事や、夫の立場や性格的な点を
十分フォローできないでいた為に、結局夫のいい所を評価できずにいました。
やはり、教会では人間関係や信徒の目を気にしたり(まったく気にしない訳にはいきませんでした)
また若い二人が結婚したので、「教会からの期待に応えたい」気持ちも強く、
(夫は無関心な信仰生活、私は「なぜ夫が熱心にならないのか」と夫をせめていました。
ほかの人は信仰的でもうちの夫は...)この心理的な葛藤と、結婚したにもかかわらず
「独身者みたいに一人で教会に行く寂しさ」と「どうして夫が教会に来れないか」の
説明(教会側にしたら言い訳に)理由はどうあれ、「敗北感を感じてました」
(と言って祈ってもらう時はいいのですが、一つ間違うと「どうして祈りがきかれないのだ!」の
感情に変わってしまうのです。結局信仰の面で傷ついた私は教会をやめてしまいました。
(その後半年経って、私は別の教会に通い始めましたが、夫はクリスチャンを辞めました。
「礼拝ごっこに飽きたのだ」と思います。夫には親しい友人のキリスト者はいませんでした。
一応2−3年は教会には行きましたけど。)